駆け込み訴え

ジャニヲタ腐女子の観劇メモ

Take Me Out 2018


f:id:hmghsi:20180430051039j:plain


Take Me Out2018を見てきました。

Take Me Outは複雑に様々な要素が絡み合い、考えれば考えれるほどおもしろい芝居ですね。本当によくできた戯曲だなあ。なので思ったことをとりとめもなくつらつらと書きます。
初演は見ていません。
ストーリーについてがっつりふれるので注意。


キッピーとシェーンについて
この作品において一番衝撃を受けたのはやっぱりシェーンの「手紙」がキッピーによって捏造されたものだとわかったシーン。ダレンや劇中の世界、そして観客がどこかで信じていたシェーンの中の良心。それがまったくのつくりものだったとわかるシーン。あそこは劇的でいいですね。
栗原類くんすごい。
あの一連のシーンでの味方くんのこどもに言い聞かせるような辛抱強い話し方もとてもいい。
シェーンという教育、そして自分でものを考えるということの機会を与えられてこなかったであろう人間の中にある無知からくる純粋な悪意、もしくは空虚。そういうものにぞっとさせられる。自分には投げることしかできない、だから投げさせろとそればかりを言うシェーンが悲しい。中身がからっぽであるシェーンはおそろしいと同時に十分にリアルな存在に感じられる。
ゲイであることを明かす前から、そして明かしたあともダレンの善き友人でありつづけるキッピー。チームをうまくまとめようとしていて実際頼られる存在であるキッピー。シェーンの中の善意を信じるキッピー。シェーンを救おうとして、シェーン自身の行動によって自らの敗北を悟るキッピー。
Take Me Outが民主主義の敗北の物語であるなら、劇中でのキッピーこそが民主主義のメタファであるのかもしれないと思います。キッピーの偽善、無意識下での見下し、思い込み、そういうものを思い起こす度、きりきりと胸が痛む。民主主義が取りこぼしたもの、救えなかったもの、それこそがシェーンだったのではないかと。シェーンがキッピーなら自分を救ってくれるかもしれないと思っているところがまた切ない。

ダレンとデイビーとメイソン
神は不在だと語るダレン。
神を信じるデイビー。
神を信じないメイソン。
この3人の対比がいいですね。
わたしは勝手にデイビーはカトリックだと思い込んで見ていたんですが、劇中でははっきり言及されていないんですね。デイビーのゲイフォビア的反応はカトリック教徒としての感覚からきているのではないかと思っていました。はっきりは示されてないけどたぶんそうだよね?
一方で神を信じないメイソンはユダヤ人。ユダヤ教もまたカトリックと同じで同性愛は認められていません。メイソンのバックボーンは語られませんが、このあたりからもつらい経験が想像できる。
薄い知識で言及したくはないですが、宗教的な部分からのアプローチがあるのもおもしろい、というか物語の厚みが感じられます。
「楽園」とは知らなければきっと思い人であるデイビーとずっと仲良くしていられたであろうダレンにとっての楽園だったのかもしれない、とも思います。そこを出て、神であることをやめて、出会ったメイソンは神を信じない男だった。
特定の人々を差別するような教義をもつ宗教、というそれそのものの行き詰まりのようなものも書かれているんだなあ。

ダレンとメイソン、そしてシェーン
冒頭でキッピーが語る通りダレンは裕福な家庭に育ち才能のある人間です。メディアへの受け答えなんかもよくできている。そして、メイソンもまた賢くて知的好奇心の豊富な人間です。そのふたりが結ばれる影でシェーンという空虚で孤独な男が破滅している。それこそまさにどうしようもない悲劇であり、あまりにも悲しい。この世界に本当の平等なんてものはないんですね。
ダレンとメイソンが差別を受ける側であると同時に社会的に成功していること。シェーンを守ってくれるものはないということ。
メタ的な見方なのかもしれませんが、わたしはラストのセリフについてそういう風に感じました。
陳腐な表現ですが、つらいこともあればうれしいこともある、という世界そのものが悲劇なのかなあと。それでもラスト、メイソンはダレンに駆け寄って抱きつけるのだから世界に救いはあるのかもしれない。そういう話なんだと思います。

「俺らは楽園を失った」
差別の存在、不公平、そしてこの世にある誰かの苦しみ。知らなければきっとしあわせでいられる。シェーン自身だってきっと無知であるからこそただマウントでボールを投げていられればそれで幸福だった。そんな無知がもたらす「楽園」を出てダレンは、チームのメンバーは、これからどうするんだろうか。そんなことを考えます。


いつも以上にとりとめのないブログになってしまった。書きたいことがありすぎるのが悪い。劇中で何度も言及されているように黒人の父と白人の母の間にうまれたダレンのアイデンティティもまた大きなテーマになっているんだろうな、もちろん他のチームメンバーたちの出身地についても含め、と思いつつそのへんは割愛。

最後に演出と個人的に好きなシーンについて
役者が自分で動かせるようになってるロッカーおもしろいですね。ロッカーの中は個人のスペースというのが目で見てわかる。
音楽が印象的。キャッチーなメロディ。
全編通してメイソンがかわいい。わたしはもともと玉置玲央さんが好きで今回のチケットを取ったんですが、期待を裏切られない演技でした。玉置さんのあの人を引き込むようなすてきな声が甘くやさしい語りかたをしているのに胸がきゅうっとなりました。(普段は七五調でタンカ切ってるような玉置さんが好きなのですが笑)ラストシーンの「さて、春が来るまで何をしよう」の晴れやかさがたまらなく好きです。隣のゲイカップルにダレンとの電話を聞かせるシーンも、数字の話をするシーンも、ダレンに「やめるなんていわないで」と言うシーンも、野球観戦をするシーンも、全部好きです。
ダレンと監督のやりとり。会見をする前の「何も変わらないぞ」、そしてシェーンが戻ってくる前の「息子のように思っていた」。監督という『大人』からしたらダレンの行動にはなにも意味はないというようでつらい。


Take Me Outの上演台本売ってほしいな~。
話の構造がとてもよくできている話だなあと思うので、もっといろいろ考えたいですね。あと小川さんの翻訳はやっぱり秀逸だ~。言葉のひとつひとつがいきいきしていて話に引き込まれます。ハングマン早く見たい。


終わりかたを見失ったので、最後に成河さんのブログをはります。必読です。
http://web-dorama.jugem.jp/?eid=757

関数ドミノ

f:id:hmghsi:20171006004700j:plain

10月5日、関数ドミノに行ってきました。

観劇後ここまで暗い気持ちになったのはひさしぶり。前川さんの作品だから、と笑いにいくつもりでいたら終始胃がいたくて重苦しい気分で観劇後はぐったりでした。でもやっぱり設定ストーリー話の構成すべてがおもしろい。
演出、演技は全体的に暗く感じました。BGMもかなりおさえめ。照明はブラインドによって顔に影ができているところや、街灯のような斜め上からさすぼんやりとした光が印象的でした。
そして、舞台上には大破した車。

真壁を演じる瀬戸くんの演技が圧巻でした。神経質そうに自分の首や胸元、うでをかいているのがとても気持ち悪くて、同時に現実の人間の癖のように感じるくらいリアルでした。あの瀬戸くんのかわいらしい天使のような顔が真壁の卑屈さ、嫌らしさを映して醜く歪むのが本当にぞっとするほどおそろしい。
いらいらして周りに当たるところや、自分に感謝するよう言うところ、そういうところが本当に痛々しくて、見ていてつらいし厳しい。まるで自分が怒鳴られてるみたいに感じるような演技でした。
真壁のことは最後まで好きになれないのに、真壁という不安定なトロッコから観客は降りることはできない。劇中人物が何度も言及するようにまずは真壁を信じないとストーリーは展開していかないのです。そして何度も繰り返されるその言葉はラストの展開にもつながっている。
「ドミノ」の存在を証明したいと考えている真壁こそが「ドミノ」であり、その真壁の望みこそが現実ではありえない現象を起こしていた。真壁は自分に起こった不運すべてを「ドミノ」のせいにしている。真壁は自分の弱さから逃避し、ドミノ幻想(劇中で診断のつく症状)にとらわれている。しかし、自分こそがその「ドミノ」であり、真壁は自分にできたはずの望み、可能性すべてを自らのそのドミノ幻想によって打ち捨てていた。

ここの話の展開が本当におもしろい。

「ドミノ」を信じるからこそ真壁は奇跡を起こせるが、しかしそれは自分が「ドミノ」として望みを叶えるためでなく「ドミノ」という他者に自分の弱さを押し付けるためだった。だから「ドミノ」の力で傷つけた秋山を真壁は救えない。自分が「ドミノ」であるという現実を受け入れられない、「ドミノ」であるのに何もできなかった自分を受け入れられない真壁には何もできない。
劇中何度も繰り返される「他人の気持ちはあなたにはわからない」、いかにもその通りで森魚の望む通りに現実は動いているようですべては真壁の望む通りだった。森魚にとって田宮こそが本当の友達で別に泉のことは好きではなかったのかもしれない。劇中真壁は土呂の森魚への友情は「ドミノ」である森魚の力によるものではないかと言うが、それも本当の友情なのかもしれない。
そしてそれを全部ぶちこわす真壁。
劇中森魚の部屋に盗聴器をしかけ森魚を監視し、同時に無自覚とはいえ森魚の周りを自分の思うまま動かしている真壁は本当に悪趣味だけどまさに神様とも言えますね。

本当に重苦しく、つらい気持ちになる芝居でした。見てて疲れました……。
土呂を演じる山田悠介さんの演技はとてもかわいらしかったです。HIV患者であり切羽詰まってるはずなのにどこか抜けてて、でも途中森魚を神様のように信じ出すところはおそろしかった。狂信者こわいね。森魚が新興宗教の教祖みたいになってく展開とかもおもしろそう。
個人的に好きだったのは土呂が森魚の部屋に盗聴器をしかけるシーンと、田宮と森魚と泉の三角関係をデバガメするシーン。真壁と一緒に悪趣味な楽しみかたをしながら、その真壁を笑っている感じが楽しい。

それにしてもほんと瀬戸くんがすごい、っていう舞台でした。劇中人物も観客もみんなが真壁に乗せられ真壁を信じさせられることで進んでいくストーリーなんですが、その真壁を演じ芝居を引っ張りつづける瀬戸くんの力。瀬戸くんの演技がリアルすぎて真壁の人物像は決して好きになれるようなものではないのに最後まで目が離せない。瀬戸くんは今の若手俳優でも本当に力のある役者だと思います。
瀬戸くんの芝居もっと見たいな~。

遠い夏のゴッホ

f:id:hmghsi:20170720233623j:plain

※ネタバレあります

7月20日、遠い夏のゴッホを見てきました。
西田シャトナーさんの演出作品、そして銀河劇場もはじめてということでわくわくして行ったんですが、とても楽しかったです。
装置も衣装も抽象性が高くてよかったです。センターにあるはしごが土の中から見た地上だったり、地上から見る木の上だったり何度もいろんなものとして使われていた。装置自体が動かせるようになってるのも大きな力にさからう小さな虫の抗いが見えるようでよかった。衣装は、昆虫や爬虫類両生類たちののそれぞれの特徴が抜き出されてデザインされてるのがよくわかりました。(セミが「胸で歌う」ためにベストを着てたりとか)衣装がそれぞれのキャラクターがとても魅力的でかわいいのをさらに引き立たせてましたね。同じセミでもベストの色がそれぞれちがったり、アリが軍服のようなデザインの服を着てたり、クワガタとカブトムシが同じ黒っぽい服でもシャツにジャケットとTシャツにベストで全然印象がちがったり。
あの舞台に人間が登場するとしたらどんな衣装が与えられるんですかね。なんて思ったり。2本足の巨大な化け物だもんね。
役者さんの演技もみんなエネルギッシュでよかった。それによって後半に出てくるダンディーなおじさま方のどっしりかまえた抑制のきいたセリフ回しもさらに際立ってたなあと思います。セリフ、動き、両方の面で求められてる水準が高くて、熱量をもって演じられてるのが伝わってきました。兼ね役も多かったし。ベアトリーチェただひとりが女の子の役者さんなのにその子まで兼ね役するの!?ってちょっとびっくりしましたが。

前半は「これもうどうなっちゃうんだ?」と思ってしまうくらいはちゃめちゃでしたね笑。話もあっちゃこっちゃするし視点もさだまらないし。でも、ラストに向かって話のすべてが収束していく。夏が終わって秋がきて生き物たちが死んでいく。そして言葉も少なくなって、話も抽象的になって、だからこそ核心的になる。終盤セリフもなく目線や手の動き、ライティングだけでぐっとひきこまれるシーンがあって、それがとてもよかった。(アムンゼンが死んでからのところ)
その後季節が巡ってまた夏がやってきて、一転序盤のように明るい展開が戻ってくる。それぞれ死んだり世代が下ったりしているのがまたぐっとくるんですよね。それで、ゴッホベアトリーチェがまた出会ってしあわせなキスをして閉幕。なのに、またそのキスが森の生き物たちの、地球に生きるあらゆる生き物たちの、愛する人とのキスにまで意味が拡大されるのが冗談みたいにすてきでした。そこの演出が序盤のギャグからつながってるのが粋ですよね。
個人的にはゴッホの夢の中にベアトリーチェが出てくるところが好きでした。「名前を忘れそうになったら大きく息を吸って自然に呼んで」と言うベアトリーチェ自身がゴッホの名前を忘れてしまう。これはゴッホ自身が自分の名前すら思い出せなくなっているからである。そしてゴッホは大きく息を吸って、それから小さな小さな声で大変な苦労をしながら自分の名前と愛する人の名前を思い出す。そこの安西くんの演技がとてもよかった。めっちゃ運動神経が良くて、声も通って、今回の舞台でもこれでもかというくらい動き回ってる安西くんがささやくような声で演技するのにぐっとひきこまれました。


2時間ちょっと休憩もなしのコンパクトな舞台でとてもよかったです。出てる子たちもみんな顔かわいいし。顔のかわいい若い男の子は最高!いやあとなんかトカゲとカマキリ、BLだったよね、、、
(まじめに感想書いてきてそこにたどりついてしまうのか……)

スロウハイツの神様

7月7日、スロウハイツの神様を見てきました。

今日の観劇が実は高校生以来のキャラメルボックスでした。だからかオープニングのダンスを見た瞬間、演劇部での活動に高校生活ほぼすべてを捧げていたことがなつかしく思い出されました。恥ずかしながら、わたしの入っていた演劇部はオープニングによく自分たちでふりをつけたダンスを入れていました。もちろん素人のものなので体のキレもないしいろいろ散々でした。それでもいっぱい時間をかけて曲を選びふりをつけてタイミングをそろえて、今そういう創造的な行為から離れてみるとなおさら楽しかったように感じます。
今回のスロウハイツの神様はそれこそまさに創造的な手段でもって世界と繋がる若いクリエイターたちの物語なわけです。

※ここから舞台の内容に触れます。
※わたしは原作は未読です。

柿喰う客の玉置玲央さんの出演にひかれとチケットを取りましたが、とても楽しい舞台で見にきてよかったです。若いクリエイターたちが夢を追いかけるというストーリー、交差する恋心、おかれた伏線の回収、そしていかにも“キャラメルっぽい”軽やかで陽気なギャグ。それを演じる演者の方々もすばらしくて見ていて気持ちよかったです。
特に人気小説家でスロウハイツの住人である千代田公輝、通称“コウちゃん”は誰もが好きになっちゃう(と同時にまちがいなくどうしようもなく情けない中年のおじさん)キャラクターでとても魅力的でした。コウちゃんかわいいんだよな~。後半のコウちゃんの天使ちゃんである環のために奔走するシーンは本当によかった。テレビを設置するシーン、サンタのコスプレでケーキを渡すシーン。そして劇中3回繰り返される環との握手。どれもが印象的で大好きです。あの握手の仕方にコウちゃんの人柄が現れてますよね。

そして環が莉々亜ちゃんに言い放つ「自分の力で世界と繋がれない卑怯者」という言葉(うろ覚えです。すみません)が非常に刺さりました。前置きで書いたように、わたしもかつて創造する立場だったんだよなあ、とそんなことがふと頭をよぎる芝居でした。学生のころからキャラメルボックスのファンだったという辻村深月さんの原作を成井さんが読んでおもしろいと思ったからこそ実現したのだと思うと本当に途方もないような心地になります。
まあそんなわたしの感傷とは関係なく本当に楽しい舞台でした。金曜日だったからか、仕事帰りのサラリーマンという感じの方も多くてキャラメルボックスの客層の広さを感じました。仕事帰りに芝居という2時間別世界の趣味をもてるってすばらしいことですね。


本筋よりもそれ以外のほうが長いようで恥ずかしいです。お目当てだった玉置さんはオープニングのダンスから超キレキレで身体能力の高い俳優さんが好きなわたしはメロメロでした!メガネかけたちょっと冴えない感じの演技も似合いますね、好き、、、

オペラ座の怪人


6月27日、オペラ座の怪人に行ってきました。

もはや説明不要の超名作ですが、わたしは映画も見たことがなくて今回はじめて見ました。
劇場入ってまず舞台装置がかっこいい!劇中の場面転換でも印象的に使われる幕がバトンが見えるくらいまで降りてるっていうのが象徴的でよかった。劇中劇であるオペラのところもそれぞれの演目に合わせて衣装や装置がつくりこまれていてさすがだなと思いました。マスカレードのシーンの半分タキシード半分ドレスになってる衣装すてきだったな~。
全編歌がたっぷりで満足感がすごかったです。特にタイトルそのままThe Phantom of the Operaがめちゃくちゃかっこよかった。クリスティーヌの手を引いて地下へ地下へと下っていくファントム、後ろを何度もふりかえるクリスティーヌ、ひとつのセットが高さを変えることでうみだされる終わりの見えない階段。そのあとのスモークとライティングでつくられた幻想的な湖も合わせてとても印象的。あそこでぐっとファントムの存在に引き込まれました。
あとラストでクリスティーヌがファントムにキスするシーン。あそこが一番胸にぐっときますね。うまれてから母にすら愛されなかったファントムは愛するひとからのたった一度のキスで満たされてしまう。その哀れさがたまらなく愛おしい。

というかファントムなんですよ。
オペラ座の怪人の魅力ってそのままファントムの魅力に尽きるんだな~と思います。ファントムって非道だけどかっこよくてかわいそうだからこそかわいい。

鏡に姿を現して、仮面だけを残して姿を消す。あらゆる場面に神出鬼没に現れふつうじゃありえないようなことをしでかす。ファントムの存在自体が夢と現実の狭間にあって儚い。
また、ファントムは見た目は醜くても才能あふれる建築家であり作曲家でもある。クリスティーヌを指導し、クリスティーヌからangel of musicとして慕われていたところからもそれがわかります。
ファントムの生い立ちは完全にかわいそうで、でもクリスティーヌを手に入れるために人殺しをするファントムは「姿は醜くても心はきれい」とは言い切れない。
あとシーンでいうとAll I Ask of Youでのラウルが「I love you」と歌うようにリプライズでファントムもまた同じ言葉をクリスティーヌに贈るところも好き。残酷な対比ですよね。
ファントムは矛盾した存在だからこそ魅力的なんだなあと思います。ラウルがひたすら猪突猛進な見た目通りの好青年だからこそファントムが際立つんですね。

ファントム好きだな~。ミュージカル界随一の萌えキャラだと思います。


ここまでAmazonprimeでダウンロードしたオペラ座の怪人のサントラ聞きながら書きました。Amazon便利だな~。(その落ちでいいのか?)

マリアの首

f:id:hmghsi:20170525220700j:plain


新国立劇場かさなる視点シリーズの第3段、最後の公演であるマリアの首を見てきました。

街角で客を待つ娼婦を値踏みする男の視線、街角で詩集を売る女を追う男の視線、そういう男の不躾で身勝手でリアルな視線でもって女を描き出す。そういう感じがしました。
長崎弁の独特な言葉の響きリズム、キリスト教的価値観、それらが舞台上でぶつかりあう熱量がすごかった。
たった4人の同士の忘れられない、忘れたくない憎しみ。憎しみを忘れないためにマリア像を奪おうとするひとびとを、それでも慈しむようにやさしいマリア様の声。一幕であげたような苦悶の声をあげながらそれでもマリア像の首を持ち上げようとする忍。鹿の祈り。
すべての終着点は見てる観客の心に託されたように感じました。

むずかしいなあ。むずかしい。

白蟻の巣のあの情熱的でうつくしくロマンチックで空虚な言葉。城塞の言葉と言葉のぶつかり合いのおもしろさ。最後を飾るマリアの首の詩的でありながら率直で突き刺すような言葉のするどさ。
それぞれの戯曲のもつ言葉の力というか、そういうのをすごい感じた企画でした。日本の戦後は日本にしかないし日本の言葉は日本にしかないんだなあ。

まとまりのないブログですね。

個人的には城塞がとてもおもしろくて楽しく見ました。言葉と言葉の殴りあいというか、言葉選びのおかしさというか。劇中劇でひとの心の城塞を破壊するその残酷さが、日本という国に対する痛烈な批判が、すごかった。会話劇でありながら言葉を失うラストも圧巻。


芸術劇場のRooTSもですが、こういう企画は本当に楽しいです。もっと見たい。

帝一の國(2回目)


原作未読の状態で1回目に行ったので原作読みおわってから2回目に行ってきました。
帝一の國は最高!

竹内涼真くん演じる大鷹弾が本当にかっこいい。まず光のあたりかたがちがう。帝一の國の映画自体が光の差し込みかたが独特だな~って印象があるんですが、大鷹弾はなんかもうむしろ大鷹弾自身が発光している気がする……。
菅田くんの立ち姿(あと鼻筋)はうつくしいし志尊くんはかわいいし野村くんのふりきりかたがすごいし千葉くんは破滅的に姫だし、わたしは間宮くんの顔が一番好きだし、とにかく出演者全員が全員なすべきことをなしてる感じが好きです。原作を読んでなるほどなあと思いましたが、兎丸先生の魅力的なキャラクター、全員をいかすストーリーがあってこそですね。帝一の國は最高。


カタルシスの連鎖(ここから先当然のように映画原作全編のネタバレを含みます)

帝一の國原作があってこそのこのおもしろい映画ができたんだなあと原作を読んだことで実感したんですが、なおもって映画としてのうまさみたいなのも確実にあるなあと思います。
なんかこの映画構成がうまくないですか?
幼少期ピアノを弾くことを否定されていた帝一が留置所で父親に対して「ただ誰もピアノを弾くことをとがめない世界をつくりたかった」「ピアノが弾きたいよ」と訴える。おさないころ自分をいじめていた菊馬とタイマンのケンカをする。弾に自ら会長の座をゆずった帝一が「僕はピアノが弾ければそれでいい」と言い弾の就任式の場でずっと弾きたかった自分の一番好きな曲を弾く。そして帝一が最も愛する曲は『マリオネット』=あやつり人形。帝一が不敵な笑みで「君たちのことだよ」と言い映画が終わる。
そのうえそのあとに流れるエンディング曲は『イト』で意図とあやつり人形の糸がかかっている。(わたしは最初idなのかなと思ってた。全然ちがかった)
会長戦とは別で帝一自身の物語が一本の線でつながっていて、それが後半怒濤のように展開していく。まさにカタルシスが連続、もしくは連鎖的に起こるんですよね。それが当然ですがめっちゃ気持ちいい。
全14巻の長期のマンガ連載ではできない物語の展開だと思います。2時間の映画だからできるし、きまる。
そういう意味で原作のおもしろさでストーリーを動かして、映画的構成で見せる帝一の國は本当によくできてたし気持ちのいい映画だったなあ。帝一の國は最高。


個人的に一番好きなのは弾くんが帝一の部屋のドアをけやぶるシーンです。マンガではよくあるシーンだけど実写であれを見ると思ってた以上にショッキングというかびっくりするような映像になっててめっちゃおもしろかった。


以上。
とにかくオタク女全員帝一の國を見てくれ~~~~!帝一の國は最高!