駆け込み訴え

ジャニヲタ腐女子の観劇メモ

Take Me Out 2018


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Take Me Out2018を見てきました。

Take Me Outは複雑に様々な要素が絡み合い、考えれば考えれるほどおもしろい芝居ですね。本当によくできた戯曲だなあ。なので思ったことをとりとめもなくつらつらと書きます。
初演は見ていません。
ストーリーについてがっつりふれるので注意。


キッピーとシェーンについて
この作品において一番衝撃を受けたのはやっぱりシェーンの「手紙」がキッピーによって捏造されたものだとわかったシーン。ダレンや劇中の世界、そして観客がどこかで信じていたシェーンの中の良心。それがまったくのつくりものだったとわかるシーン。あそこは劇的でいいですね。
栗原類くんすごい。
あの一連のシーンでの味方くんのこどもに言い聞かせるような辛抱強い話し方もとてもいい。
シェーンという教育、そして自分でものを考えるということの機会を与えられてこなかったであろう人間の中にある無知からくる純粋な悪意、もしくは空虚。そういうものにぞっとさせられる。自分には投げることしかできない、だから投げさせろとそればかりを言うシェーンが悲しい。中身がからっぽであるシェーンはおそろしいと同時に十分にリアルな存在に感じられる。
ゲイであることを明かす前から、そして明かしたあともダレンの善き友人でありつづけるキッピー。チームをうまくまとめようとしていて実際頼られる存在であるキッピー。シェーンの中の善意を信じるキッピー。シェーンを救おうとして、シェーン自身の行動によって自らの敗北を悟るキッピー。
Take Me Outが民主主義の敗北の物語であるなら、劇中でのキッピーこそが民主主義のメタファであるのかもしれないと思います。キッピーの偽善、無意識下での見下し、思い込み、そういうものを思い起こす度、きりきりと胸が痛む。民主主義が取りこぼしたもの、救えなかったもの、それこそがシェーンだったのではないかと。シェーンがキッピーなら自分を救ってくれるかもしれないと思っているところがまた切ない。

ダレンとデイビーとメイソン
神は不在だと語るダレン。
神を信じるデイビー。
神を信じないメイソン。
この3人の対比がいいですね。
わたしは勝手にデイビーはカトリックだと思い込んで見ていたんですが、劇中でははっきり言及されていないんですね。デイビーのゲイフォビア的反応はカトリック教徒としての感覚からきているのではないかと思っていました。はっきりは示されてないけどたぶんそうだよね?
一方で神を信じないメイソンはユダヤ人。ユダヤ教もまたカトリックと同じで同性愛は認められていません。メイソンのバックボーンは語られませんが、このあたりからもつらい経験が想像できる。
薄い知識で言及したくはないですが、宗教的な部分からのアプローチがあるのもおもしろい、というか物語の厚みが感じられます。
「楽園」とは知らなければきっと思い人であるデイビーとずっと仲良くしていられたであろうダレンにとっての楽園だったのかもしれない、とも思います。そこを出て、神であることをやめて、出会ったメイソンは神を信じない男だった。
特定の人々を差別するような教義をもつ宗教、というそれそのものの行き詰まりのようなものも書かれているんだなあ。

ダレンとメイソン、そしてシェーン
冒頭でキッピーが語る通りダレンは裕福な家庭に育ち才能のある人間です。メディアへの受け答えなんかもよくできている。そして、メイソンもまた賢くて知的好奇心の豊富な人間です。そのふたりが結ばれる影でシェーンという空虚で孤独な男が破滅している。それこそまさにどうしようもない悲劇であり、あまりにも悲しい。この世界に本当の平等なんてものはないんですね。
ダレンとメイソンが差別を受ける側であると同時に社会的に成功していること。シェーンを守ってくれるものはないということ。
メタ的な見方なのかもしれませんが、わたしはラストのセリフについてそういう風に感じました。
陳腐な表現ですが、つらいこともあればうれしいこともある、という世界そのものが悲劇なのかなあと。それでもラスト、メイソンはダレンに駆け寄って抱きつけるのだから世界に救いはあるのかもしれない。そういう話なんだと思います。

「俺らは楽園を失った」
差別の存在、不公平、そしてこの世にある誰かの苦しみ。知らなければきっとしあわせでいられる。シェーン自身だってきっと無知であるからこそただマウントでボールを投げていられればそれで幸福だった。そんな無知がもたらす「楽園」を出てダレンは、チームのメンバーは、これからどうするんだろうか。そんなことを考えます。


いつも以上にとりとめのないブログになってしまった。書きたいことがありすぎるのが悪い。劇中で何度も言及されているように黒人の父と白人の母の間にうまれたダレンのアイデンティティもまた大きなテーマになっているんだろうな、もちろん他のチームメンバーたちの出身地についても含め、と思いつつそのへんは割愛。

最後に演出と個人的に好きなシーンについて
役者が自分で動かせるようになってるロッカーおもしろいですね。ロッカーの中は個人のスペースというのが目で見てわかる。
音楽が印象的。キャッチーなメロディ。
全編通してメイソンがかわいい。わたしはもともと玉置玲央さんが好きで今回のチケットを取ったんですが、期待を裏切られない演技でした。玉置さんのあの人を引き込むようなすてきな声が甘くやさしい語りかたをしているのに胸がきゅうっとなりました。(普段は七五調でタンカ切ってるような玉置さんが好きなのですが笑)ラストシーンの「さて、春が来るまで何をしよう」の晴れやかさがたまらなく好きです。隣のゲイカップルにダレンとの電話を聞かせるシーンも、数字の話をするシーンも、ダレンに「やめるなんていわないで」と言うシーンも、野球観戦をするシーンも、全部好きです。
ダレンと監督のやりとり。会見をする前の「何も変わらないぞ」、そしてシェーンが戻ってくる前の「息子のように思っていた」。監督という『大人』からしたらダレンの行動にはなにも意味はないというようでつらい。


Take Me Outの上演台本売ってほしいな~。
話の構造がとてもよくできている話だなあと思うので、もっといろいろ考えたいですね。あと小川さんの翻訳はやっぱり秀逸だ~。言葉のひとつひとつがいきいきしていて話に引き込まれます。ハングマン早く見たい。


終わりかたを見失ったので、最後に成河さんのブログをはります。必読です。
http://web-dorama.jugem.jp/?eid=757