駆け込み訴え

ジャニヲタ腐女子の観劇メモ

マリアの首

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新国立劇場かさなる視点シリーズの第3段、最後の公演であるマリアの首を見てきました。

街角で客を待つ娼婦を値踏みする男の視線、街角で詩集を売る女を追う男の視線、そういう男の不躾で身勝手でリアルな視線でもって女を描き出す。そういう感じがしました。
長崎弁の独特な言葉の響きリズム、キリスト教的価値観、それらが舞台上でぶつかりあう熱量がすごかった。
たった4人の同士の忘れられない、忘れたくない憎しみ。憎しみを忘れないためにマリア像を奪おうとするひとびとを、それでも慈しむようにやさしいマリア様の声。一幕であげたような苦悶の声をあげながらそれでもマリア像の首を持ち上げようとする忍。鹿の祈り。
すべての終着点は見てる観客の心に託されたように感じました。

むずかしいなあ。むずかしい。

白蟻の巣のあの情熱的でうつくしくロマンチックで空虚な言葉。城塞の言葉と言葉のぶつかり合いのおもしろさ。最後を飾るマリアの首の詩的でありながら率直で突き刺すような言葉のするどさ。
それぞれの戯曲のもつ言葉の力というか、そういうのをすごい感じた企画でした。日本の戦後は日本にしかないし日本の言葉は日本にしかないんだなあ。

まとまりのないブログですね。

個人的には城塞がとてもおもしろくて楽しく見ました。言葉と言葉の殴りあいというか、言葉選びのおかしさというか。劇中劇でひとの心の城塞を破壊するその残酷さが、日本という国に対する痛烈な批判が、すごかった。会話劇でありながら言葉を失うラストも圧巻。


芸術劇場のRooTSもですが、こういう企画は本当に楽しいです。もっと見たい。